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マスターズ5年連続出場&リトルコーノ

日本ゴルフ界の小さな巨人
「リトルコーノ」

河野高明(こうのたかあき)は1940年、神奈川県横浜市に生まれました(1940年~2010年)。
程ヶ谷カントリー倶楽部でキャディをしながらゴルフの鍛錬を積み、1959年にプロテストに合格。
その後、1967年に関東オープンでの初優勝を皮切りに勝利を重ね、1970年には日本人初の1000万円プレーヤーになるなど、60年代から70年代前半の日本ゴルフ界をけん引しました。
海外ツアーでも確かな実績を残し、特にマスターズでの活躍はめざましく、160cm、60kgという小さな身体ながら外国人選手と渡り合う姿に“リトルコーノ”と愛称がつけられ、多くのファンに愛されました。
1970年からは藤沢市鵠沼を自身のゴルフの拠点とし、マスターズをはじめとする海外ツアー、国内ツアーで活躍。
1989年にレギュラーツアーを引退し、シニアツアーへ。2003年から2008年までは、日本プロゴルフ協会(PGA)理事に従事。
2010年4月22日、肝臓がんにより70歳の生涯を終えました。
長期に渡るゴルフ界への貢献を称え、2017年、第五回日本プロゴルフ殿堂入りを果たしました。

マスターズ5年連続出場&リトルコーノ

いまなお燦然と輝く
戦績の数々

プロ転向後、1967年関東オープンでの初優勝から河野高明の躍進はとどまることを知りませんでした。
1967年から1968年にかけて日本オープン・日本シリーズの2冠を達成。
その後、安田春雄、杉本英世とともに「和製ビッグ3」と呼ばれ、「AON時代」以前のゴルフ人気を築き上げます。

河野高明の主な優勝
通算21勝(国内17勝 海外4勝 ※1973年以降レギュラーツアー2勝)
日本オープンゴルフ選手権競技(1968)
ゴルフ日本シリーズ(1967、1968)
関東オープンゴルフ選手権競技(1967)
マレーシア・オープン(1969、1971)
シンガポール・オープン(1972)

マスターズ戦績
(1969年 13位 1970年 12位 1972年 19位 1973年 51位)
※1969~1973まで5年連続出場

マスターズ5年連続出場&リトルコーノ

河野高明と
藤沢ジャンボゴルフの歩み

1972年に藤沢ジャンボゴルフがオープンすると、河野高明は日々この場所で技の研鑽に努めていました。
特にトーナメント前後には、「グラウンドに点在する目標に向かって一心不乱にボールを打ち続けていた姿が印象的だった」と、当時のファンは語ります。
1986年より藤沢ジャンボゴルフのアドバイザーに就任。
「みなさまのゴルフ技術向上のお手伝いをしたい」と、自身のゴルフ人生を集約し、練習施設の強化やジャンボパッティングワールドの開設、アプローチプレイス・バーディーの設計・監修に尽力しました。

1Fロビー横にある「河野高明メモリアルブース」は、その功績を称えたもの。
優勝カップや、直筆によるマスターズのスコアカードなど、貴重な品々を特別展示いたしております。

マスターズ5年連続出場&リトルコーノ

世界に誇るマスターズ
5年連続出場

世界中から選ばれたトップ選手だけが出場を許される夢の舞台「マスターズ」。
河野高明はそのマスターズに5年連続出場を果たします。

1969年の初出場では13位と奮闘し、翌年1970年にはさらに順位を上げ、当時の東洋人最高位、12位という快挙を成し遂げます。
マスターズの常連となりすっかり“リトルコーノ”の名を定着させた河野。
成績もさることながら、その名をより知らしめたのは、160cm、60kgという小柄な体格とは裏腹に、外国人選手と堂々と渡り合うほどの飛ばし屋であったことにあります。
小柄な身体で限界までスイングアークを大きくするため、独自のループスイングを編み出した河野。
飛距離だけでなく方向性にも優れた技術力に、マスターズのパトロンたちは魅了されたのです。

マスターズ5年連続出場&リトルコーノ

歴史に名を残す
マスターズでの偉業

5年連続出場、初出場で日本選手最高位を記録。それだけにとどまらず、河野高明はマスターズで大きな偉業を成します。
それは出場し続けた5年間で、4つのイーグルを奪ったこと。
特に初出場した1969年の大会3日目。17番400ヤードのパー4の第2打を、6番アイアンで直接カップインさせたイーグルは、日本人である河野の存在を世界中に強く印象付けました。
同日、オーガスタでそのスーパープレーを観ていた関係者が、「ボールがやわらかく空中に舞い、カップに吸い込まれた」と表現をしています。
このホールのイーグルは、当時、大会史上初の出来事でした。

マスターズ5年連続出場&リトルコーノ

河野高明のこだわりが息づく
「アプローチプレイス・バーディー by リトルコーノ」

飛ばし屋として知られていた河野高明ですが、一見、豪快なプレースタイルは、緻密な訓練によって裏付けされたものでした。
「フェアウェイはボールの幅だけあればいい。」
そう豪語するほどに、クラブさばきには自信を持っていました。
マスターズでのイーグルをはじめ、ツアー優勝の量産を支えていたのは、ここ一番でのアプローチの高い精度によるものでした。

「アプローチプレイス・バーディー by リトルコーノ」は河野が自身の経験をもとに設計・監修。
アプローチの上達には最高の環境に造り上げました。

現在は、生前の功績を称え施設内のポットバンカーを「MEMORIAL BUNKER」と名付けています。

マスターズ5年連続出場&リトルコーノ

パターの名手でもある河野高明が監修した「ジャンボパッティングワールド」

河野高明の卓越した技術の中でも、特筆すべきはパッティングです。
ガラスのグリーンと称されたオーガスタのグリーンでも、比類の技術とセンスによるパッティングを量産し、スコアを伸ばし続けました。
その河野が強いこだわりをもち自ら設計・監修したのが、「ジャンボパッティングワールド」です。
勝負を分けるのは、パッティングを含めたショートゲームであると考えた河野。
その技術をさらに向上させる場としてこの施設を誕生させ、生涯自己研鑚を重ねたのです。

マスターズ5年連続出場&リトルコーノ

世界への扉を拓いた
「299番打席」

プレミアムJクラブコート内にある、アスリート系トレーニングコート「オーガスタ」は、かつて河野高明がこよなく愛し、日々技の鍛錬に努めていた「299番打席」に造られています。

当時の「299番打席」は、様々なゴルフ場のレイアウトと弾道をイメージできるからと、河野が唯一の指定した打席でした。
アスリート系選手だった河野は、この打席で特徴的な「連続打ち」で、力強いインパクトを生み出すスイングを身体に叩き込んだのです。

これを踏襲し、現在「オーガスタ」には連続打ちマシーン「スイングノーム」を設置。河野流のアスリート系トレーニングを実践していただけます。

河野以外にも、日本オープンチャンピオンや賞金王など、多くの選手がこの「299番打席」で練習を重ね、タイトルを獲得しています。

打席の壁には、河野がマスターズに出場した際のヤーデージブックやレコードを展示しています。

マスターズ5年連続出場&リトルコーノ

第15回中日クラウンズ
出場選手の寄せ書き

マスターズの季節から夏にかけて展示する「第15回中日クラウンズ」出場選手の寄せ書きは、河野高明から寄贈されました。

中日クラウンズは、1960年から現在まで続く歴史ある大会です。
とりわけ河野高明が出場した1974年の第15回大会は、マスターズで2度目の優勝を果たしたゲーリー・プレーヤー、アーノルド・パーマーといった、世界ビック3のうち2人が出場して話題を集めました。

*直筆サイン ゲーリー・プレーヤー、アーノルド・パーマー、青木功、尾崎将司、中嶋常幸ほか

なお、藤沢ジャンボゴルフのバンカー練習場は、中日クラウンズが開催される「名古屋ゴルフ倶楽部和合コース」のバンカーと同じ「愛知県瀬戸産」の砂を使用しています。

マスターズ5年連続出場&リトルコーノ

ジュエリーBOX
~マスターズの記憶~

「河野高明メモリアルブース」でひときわ存在感を放つジュエリーBOX。

これは河野がマスターズに出場したとき、令夫人であるみどり様が、現地で出場選手に直筆サインをお願いしたという貴重な品です。
その錚々たる名選手のサインが、選手からも“リトルコーノ”として親しまれていたことを証明しています。

*直筆サイン アーノルド・パーマー、ジャック・ニクラス、ビリー・キャスパー、尾崎将司ほか

マスターズ5年連続出場&リトルコーノ

マスターズ
ベストスコア クリスタルグラス

1969年、初の「マスターズ」に出場した河野高明は、決勝ラウンドに進みました。
当時のスーパースター、ジャック・ニクラスやアーノルド・パーマーなどの選手を抑え、4アンダー68というベストスコアを記録。4万人を超える大観衆を驚かせました。
その時に授与されたのがこの「ベストスコア クリスタルグラス」です。

この日本人のベストスコアは、1991年に67で回った中嶋常幸に破られるまで21年間、河野高明が保持していました。

マスターズ5年連続出場&リトルコーノ

日本オープン優勝カップ
日本タイトル2冠達成

1968年「第33回日本オープンゴルフ選手権」の、河野高明の優勝カップです。
同年の「ゴルフ日本シリーズ」でも優勝を果たし、この2冠の実績がマスターズ出場の契機となりました。
当時授与されたカップは焼失してしまいましたが、ご家族の願いと日本プロゴルフ協会のご厚意により、この価値ある優勝カップが再製されました。

マスターズ5年連続出場&リトルコーノ

日本プロゴルフ殿堂入り
~功績を永久に讃える~

2017年3月24日、生前の功績が称えられた河野高明は、陳清水、涂阿玉ら5人のプロと共に第五回の日本プロゴルフ殿堂入りを果たしました。
式典当日は、亡き河野に代わりご子息が登壇され、倉本昌弘日本プロゴルフ殿堂副理事長より、殿堂入りの顕彰状とクリスタルトロフィーが贈呈されました。
檀上でご子息は、晩年までストイックにゴルフの鍛錬に努めていた父、河野高明の思い出を懐かしそうに語り、父の殿堂入りという晴れ舞台に登場することへの喜びと、感謝の意を表されました。